東京都現代美術館で「マーク・マンダース/ マーク・マンダースの不在」展を観る。
半透明のビニールシートで道のように区分され、その動線を任意に辿っていくことで作品と遭遇していく。作品はどれも意外性に満ちた形状をしていて、まるで架空の死体と出会ってドギマギしてしまう感覚。そして何より興味深いのは自分が通り過ぎたシートの向こうで他の鑑賞者が作品と出会う光景を目撃することができること。半透明シートの奥に浮かぶ作品と行き交う人のシルエットはぼんやりと抽象的。全くそれ自体も作品と言える様相を成している。
中でも目を引くのは、巨大な彫像の頭。あたかも経年や災害で崩れ落ちていたりするようにも見えるが(ヒビ割れやボロボロと音を立てて崩れ落ちたような床に散らばる破片、これらをブロンズでやってるところが、へぇ、うーん、そんなの見たことないかも)、その巨大な顔面に物体がリズミカルに刺さっていたり、複数の着色が施されていたり、一辺倒ではなく、素材と素材が作品文脈として見事に融合されている。息をしていたものが崩壊してそのまま風化せず、絶妙なバランスでそのまま固まってしまった風。
それは、かつてギリシアやローマの彫像が土から掘り起こされ、蘇り、部分が欠落したままの状態にもかかわらず、息を吹き返して、現代の美術館や博物館で展示されているものとは明らかに違う。ルネサンスから近代のロダンの彫刻のように完全なる均整のとれた作品も100万年経てば崩れ果てるかもしれないよー、なんて陳腐な示唆も一切ない。ただただ今という時間の中に、圧倒的な有無を言わさぬ「存在としての死」がそこにあった。永遠に朽ちることのない死。フリーズした時を前に、呼吸し動き回り時間を紡ぐ我々。
昨今、CGやデジタル操作によるアートもよく見受けられるけれど、視覚的に激しく変化しすぎて、脳ばかりが刺激されて、目がチカチカ頭が痛くなってくるものも(歳とってきて眼が悪くなったせいもあるか 笑)。圧倒的な技術にその場ではすごいとは思っても、虚構が虚構で終わっていて身体に入ってこない。脳ばかり揺さぶられて心に届いていないからか。
手を伸ばせばそこに確かにある。現実の虚構とでも言うのだろうか。ビニールシート内をずっとウロウロ万歩計もびっくり。
マンダース恐るべし。
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