かつて亡くした自分の仲間を時折思い浮かべる。親父も死んで9年経つが今でも若くなったり年老いたりしながら夢に現れる。昨夜も現れた。ただ、自分に語りかけることはない。イメージが心に染み付いているのだろう。実体はとうに旅立ってしまったが、記憶の痕跡だけは幾層にも多重を連ね脳内に蘇る。制作したSwimming Birdもそのようなものかもしれない。国境も言語も超えて、泳ぐ鳥たちという実体が壁を這うように舞い、その母体となるくり抜かれた板は、その痕跡として様相を変えて多層色を重ねる。そしてその世界を風が通り抜けていく。自分はこの脳に刻まれた実体の抜け殻という記憶とともに、死ぬその時が来るまでそれらに彩りを施しつつ踊り過ごすのだろう。
今現在、戦争や紛争の耐えないこの時勢、疫病も厄介きわまりなし。それでもめいっぱい、体内に風を通しながら、揺らしつつ変容しつつも自分にとって大切でかけがえのないイメージを心に抱きつつ生きる。この時を、未来を生きる我々には「明日は明日の風が吹く」のである。